僕がまだ子供の頃、たしか小学校の高学年くらいまで犬を飼っていた。
名前は「モモ」。
コリーの雑種で、相当なバカ犬だった。
人を見れば、見境なく吠えまくる。飼い主だろうとなんだろうと、人を見ればひたすら吠える。
その背景には、彼がひたすら臆病な性格だったことが起因する。
他の犬や猫にもビビりまくり、しまいには、蛇やカエル、虫にまで怯えて情けない声でヒンヒンと鳴く。
とりわけ、モモに対する愛情は強くはなかった。
ほとんど、父親が世話をしていたし
僕が物心ついた時から、家に居た彼の存在が当たり前になっていた。
そんな感じ。
時に、なぜ彼の事を書こうと思ったか経緯を説明しよう。
僕は昨日の出来事から、深い悲しみの底にいる。
絶賛、絶望中。
こういう時は、どうも気分が乗らない。
何をしていても、辛い気持ちに苛まれる。
こんな時は、何かに没頭する他はない。現実を見たくないのだ。
無心で記事を書く。
特に、思い出話がいいだろう。
昔の事を考えながら、文章を考えていると嫌な現実から少しだけ目を背けられる。
かくして、モモという昔いた家族は僕の現実逃避に利用される事となった。
都合がいいものだ。
しかし
彼が生きてきた証が、このブログによって記録される。それだけでも、いいじゃないかと思ってしまうあたり人間と犬という関係性が明白になる。
それでは、モモの話だ。
彼は3度家から脱走し、1回マムシに噛まれ、2回病気になった。
実家が田舎ということもあり、放し飼いにされていた事が全ての悲劇の始まり。
犬を放し飼いにするなんてありえないと思われるだろう。
当時の田舎ならではの話だ。
無論、散歩するときも車通りが多い道路以外はリードなんてつけていなかった。
時代だね。
前述したが、彼は異常なまでに臆病だ。
自宅に猫やタヌキが侵入してくれば、一目散に逃げ出す。よく、飼い犬が泥棒を撃退したみたいな美談を耳にするが、彼にそんな期待は一切寄せていなかった。
そんな彼は生涯で3回脱走した。
脱走した契機は覚えていないが、いなくなったという事実だけは色濃く覚えている。
しかし、戻ってきたのは2回。
2回とも2~3日居なくなり、突然戻ってきたと記憶している。
3回目は戻ってくることなく、それから10年以上経過している。
恐らく、どこかでのたれ死んでいるだろう。
この、脱走して戻らなくなるパターンは虚しい。
目の前で死を確認すれば、すべからず諦めはつく。しかし、「どこかで生きているかも」という期待はなかなか拭う事ができない。
それなり、彼の帰りを待った。
なにせ、前科があったから
「そのうち、帰ってくるだろう」
と、家族全員が思った。
しかし、1週間経てど、2週間経てど、モモはもどって来なかった。
僕は探した。
名前を呼びながら、近所の山を探したり、ご近所さんの家を訪ねてまわったり。
それでも、行方は分からずじまい。
1番愛情を込めて接していたであろう父親は
どっかで死んでるんだろう。
と、非情な一言を放ちつつも帰りを待っていた。
モモのご飯を入れる皿に、毎日新しいご飯を入れていた事から、父親の未練が垣間見えた事を覚えている。
それから、1ヶ月経ってもモモは帰ってこなかった。
その頃になると、我が家では
「モモはどこかで元気に暮らしているだろう」
と、なんの根拠もない考えが蔓延したいた。
そう思わないとやってられなかったのだろう。
かくして、僕達の前から姿を消したモモ。あの臆病なバカ犬が、厳しい自然界を生き抜けたとは到底思えない。
まあ、どこかで呑気に暮らしていてくれていたらと、これまた都合よく考えておこう。
つづく。